手段と目的
最近「婚活」なんて言葉をあちこちで目にする。
今は結婚も就活と同程度の重みしかないものなのだろうか。
相変わらずマスコミは軽薄な言葉を流行らせたがるもんだ。
「婚活」が消えた数年後には「離活」なんて言葉が流行るんじゃないだろうか。
結婚も就職も一緒。
イヤなら辞めればいい。危ないと思ったら辞めればいい。自分の為にならないと思ったら辞めればいい。対象が人であっても同じさ。つまり会社はもちろん、他人も自分の幸せや利益、保身の為の手段としての存在でしかないってことね。
人は手段にすぎないのだ。「幸せになりましょう。でも、不要だと判断したならばポイッでいきましょう。無駄なくいきましょう」
こんな言葉が流行る背景にはそういう風潮があるんだろう。
願わくは、お互いを目的として見なしあえる人と結ばれたい。
傍にいること「それ自体」が幸せと感じられる誰か。感じてくれる誰か。
歳をとって老いて死ぬまで「目的という絆」で結ばれていたのなら、どんなに幸せな人生なんだろう。
この先の人生で出会えるだろうか。出会えなかったら、それもまた運命か。
見苦しく慌てずに。兄弟よ、時を待て。
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