おお~
四月に買ってすっかり忘れていたボロ株が1.5倍くらいになってる。
といっても、たいした利益じゃないけど。
週明けに売って久々に外食しようかな。
自分の命綱を見ると、まだ切れてない。切れそうで切れない。
随分と落ちぶれて惨めな人間に成り下がったものだけど、この切れかかった命綱の芯に走る強烈な筋は何なんだろうと考えてみた。
この一筋は、幼い頃に親が紡いでくれたものなのかもしれない。
愛の糸を一本一本と紡いで強力な一筋とし、この体にかけてくれていたんだ、きっと。潜在意識ってのはバカにできない。
自分もいつか我が子を抱ける日が来るだろうか。なんか、もう無理っぽいけど。
でも、もしそんな幸せな日が来たならば、その子の心の最深部に刻んであげよう。
お前はかけがえのない人間なんだよ、と。
紡いであげよう。
この世界に吹き荒れる、いかなる強風に対しても決して切れない一筋を。
人が堕ちる穴には当たって分かるような底と呼べるようなものがない。
その穴は果てしなく深く暗い。
人間なんて危うい生き物で、常にその穴の上でミノムシみたいにブラブラしているんだ。人との絆や、関係性の中で必要とされる喜びや、未来への希望など、人によって色々あるんだろうけど、そういったものが糸となりその穴に堕ちないようにと繋ぎとめている。
でも、何かと移ろいやすいこの世界では、これらは時として切れてしまうんだ。
切れるさ、案外あっけなくプチっと。ここ数年プチプチばっかりいってら。
だから、絶対に切れてはいけない、切ってはいけない命綱が必要なのだ。自分をまだ光ある場所に繋ぎとめておく命綱が。
社会から否定されようと、世間から見下されようと、人に見限られてどんなに惨めな思いを抱いても、決して自分は自分を見離さない。
見捨てない。見限らない。決して自分の存在を否定しない。
自分で自分を見放した瞬間に、その最後の命綱が切れる。
堕ち行く闇の深遠の先に待つものは破滅。
弱く優しき人は樹海でひっそりと首を吊り、馬鹿で血の気の多い奴なら包丁を持って通行人を襲うのさ。
少し青空が顔を覗かせたかと思えば、すぐに灰色の雲が現れて天を塞ぎ、やがて雨を降らせてこの身を惨めったらしいネズミのようにずぶ濡れにする。
最近の天気は自分の心をそのままに反映しているようだ。
痛みや恐怖は何とか対処できたけど、惨めさだけはどうしようもないな。
考えてみりゃ、この類の惨めさは初めての経験だ。傘を持ってなければ濡れるのも当たり前なのさ。しばし、ずぶ濡れになりながら考えましょう。
根性をひん曲がらせずに、なんとかやり過ごさないとなー。
バイトでも仕事でも、すぐに辞める人と長く続ける人に分かれる。
新聞配達も例外ではないんだけれども、ちょっと極端。
続ける人は最低一年以上は続けるけれども、短い人は1日~3日で消える。
今回の人も二日でやめた。このヘッポコがぁ。
巷じゃ評判の悪い中国人留学生とかの方がよほど真面目だし根性もあるよ。
ユーザー車検に行って来た。
合計で2万円くらい。前回と比べて安くなった気がしたので調べてみたら、自賠責保険が7,000円くらい安くなってるのね。
基本的なメンテは自分でできて、ヘンテコなカスタムとかしない人にはユーザー車検は本当にお勧め。安くて早い。
しかし、車検は通してみたものの、バイクには乗らなくなったな、本当…。
ヤフオクを見てみたら、自分のバイクは車検と自賠責付きだと10万円くらいの値が付きそうなんだけど、どうも売りに出すのは躊躇してしまう。
思い入れの多いマイ・バイクが大切に乗られればいいんだけど、もう年式も古いし距離もいってるし、果たして大事に扱われるかどうか。
下品な改造をされたり、分解されてパーツごとにバラ売りされたら悲しすぎる。
手塩にかけて育てて嫁いでいった娘が嫁ぎ先でDVにあってる気分なんだね。
かといって、知人に譲っても、その人が事故って死んだりしたら後味が悪すぎるし。
う~ん、優柔不断。
バイクとしては乗ってもらったほうが幸せなんだろうけどなぁ。
なんか、バイクのカテゴリは要らない気がしてきた。
趣味のカテゴリは見てくれる人が多いから嬉しいけど、何がやりたいんだか分からんブログになってる。
自分の内面を記録していくのが目的で始めたブログだもんな…。
雑記一本に絞ろう。
シンプル・イズ・ザ・ベストなのだ。
Yahoo!天気情報トップ > 星空指数 > 関東・信越 > 山梨県 > 東部富士五湖
「星空はまったく期待できません! 指数:0」
随分とはっきり言ってくれるじゃないの。
楽しみにしていたのにさ…。
世間は三連休だから、どこに行ってもゴミゴミしているんだろうなぁ。
20日の夕方に富士スカイラインの規制が解除されるから、晴れたらお星様でも見に行こうかな。往復で6時間もあれば足りるだろう。
それまでは部屋にこもって勉強していよう。
さよなら夏の日。
言うには少し遅すぎたかな。
ブーブー言って他人を攻撃したがっている時ってのは、大抵は自分自身がくすぶっている場合が多い。ちょっと気をつけよう…。
それなりに充実したエネルギーの使い方をしていれば、誰が何をやってようがあまり気にならないものなんだ。
不平不満なんて犬も喰わないし、なんの心の足しにもならない。
許せないのは自分ってことにしておいた方がよほど実になる。
命の不完全燃焼で発生させたガスは、責任を持って自分で吸い込もう。
周りに撒き散らしたり、人様に吹きかけたりするのは賢くない。
夏の暑さは体の重さを2割増しくらいに感じさせる。
そろそろエアコンを稼動させようか。
あの部屋のエアコンは窓コンだから電気代を食うんだなぁ…。
致し方なしか。ダルさで失う集中力を考えれば安いもんさ。
暑さに負けずに頑張ろう。
ちょっと頭が疲れた時にはツーリングマップルを見て、バイクで走りたいルートを見つけてはそれをナビに登録している。
それだけで結構楽しくて満足してしまったりする。
通販カタログを見て、買った気分に浸れるアレと一緒だね。
安上がりな旅だこと。
ハッブルのサイトから宇宙の写真をダウンロードしてきて、それを壁紙にした。
数百の銀河があまねく、なんともロマンチックなデスクトップだこと。
「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、引いて見れば喜劇である」とはチャップリンの言葉。
事象はそれを眺める距離や立ち位置によって顔が異なる。
そして、その各々の距離や角度で見せる顔はそれぞれが正しいのだ。
もっと肩の力を抜いて、もっとフレキシブルに生きていくためにも色々なレンズを揃えておきたいなぁ。
見方によっては大したことないようなことで、まるで世の不幸を全て背負ったような顔をしているのも間抜けな話じゃないか。
体と頭が重くて陰鬱な気分になったので散歩に出たら、相変わらず鳥たちは楽しげにさえずっていた。相変わらず、空は青く高かった。
自分の悩みなんてものは、この世からしてみれば取るに足らないものであり、そしてそれも数ある客観的な事実のうちの一つなのだ。
「何を今更」という話だけど、視野狭窄に陥っていると忘れやすいので心の片隅に留めておこう。暗くて見えなくなったらレンズを換えろ、と。
単焦点レンズ、望遠レンズ。この場所から、空の高さから。たまには銀河の外から自分を眺めてみるのもいい。
柔軟な物の見方ってのは、きっとそういうことをいうんだろう。どのレンズを使うかは適材適所なのだ。
一つのレンズや一つの立ち位置しか持ち合わせていない人生は、生きるには余りに息苦しい。
梅雨も終わったみたいで、いよいよ夏らしくなってきたなぁ。
テンプレも涼しげなやつに変えようっと。
ココログは色々なテンプレを用意してくれているから嬉しい。
ブログってのは管理が本当にラクだー。
「使われないからって腐っていじけてベンチで文句ばかりたれてるくせに、いざピッチに出させると何もできない。そういう選手が最低なんだ」
何年か前にサッカー日本代表の監督ジーコがそんな事を言っていた。
至言だなぁ。この言葉には普遍性がある。
いつ何時、どんな出番があるかなんて分からないものなんだ。
ベンチでの生活も長くなると腐り気味になる。
そんな暇があったら精進、精進。逆境で必要なのは希望とひたむきさ。
出番はきっとある。
ここ数日はムクドリの鳴き声も深夜の物音もしなかったので、雨戸の戸袋を覗いてみたら子供の姿がなかった。
やっと飛んで行ったらしい。やれやれ、やっと平和になったよ。
しかし…「立つ鳥跡を濁さず」なんて諺があるけど、あれはどんな鳥を見て出てきた諺なんだろう。少なくともムクドリには当てはまらないようだ。
濁しまくって飛んでった。
なんか、赤く小さな虫もいるし。これはダニだろうか。
習性として一回巣を作った場所には来年も来るらしいので、ちゃんと対策をしておかないとなぁ。
そろそろ、梅雨も終わりそうだ。暑い。
一昨日に作った味噌汁を今日飲もうとしたら、ヘンな臭いがしてダメになっていた。
もうそんな季節なんだなぁ…。集中しないと。
あと少しで大好きなヒグラシの鳴き声を聞ける。これだけは夏の楽しみ。
「私は万有引力の法則を信じる」なんてのは変な話で。
「私は太陽の存在を信じる」なんてのは変な響きで。
確たる根拠に裏打ちされたものを肯定することを「信じる」とは言わない。
確かな根拠がないもの、証明して言えないからこそ、「信じる」という。
ゆえに、信じるという行為にはエネルギーがいる。危険が伴う。勇気がいる。
だからこそ尊いんだ。
何でもかんでも信じてしまうのは、ただのお馬鹿さんだけれども
何でもかんにでも根拠を求めるってのも実に冷めた話で。
信じられるものが何一つとして存在しない世界は生きるには冷たすぎるよ。
そんな世界に生きるくらいなら、むしろ埋葬でもされてしまった方がマシなのだ。
土の中の方がまだ暖かいだろう。
自分やかけがえのない人、かけがえのないものだけは信じたい。
何の根拠も求めずに。
神様だか守護霊様だか知らないけど、何かを伝えようとしている目に見えぬ誰か。
本当にいるのかもなぁ…。
絶妙なタイミングで“コツン”と叩いてくれる。
過去にも何回もあった。
それを何となく感じながらも感じないふりをすると決まって悪い方向に流されてたっけ。
悪いようにはしないから、今やるべき事に没頭しなさいってことなのかな。
明日からの一週間、気を入れなおして頑張ろう。
人と人の心は糸電話のようにお互いが糸を引っ張って初めて伝わる。
片方が手を緩めてしまったら、もうダメなんだ。
何も聞こえなくなった紙コップを捨てることも出来ずに、たまに空しく耳に当てている。
何も聞こえず。何も感じず。
この弛緩した糸を手繰っていったその先はどうなっているのだろう。
手を緩めているだけで、まだコップを手にしてくれているのだろうか。
それとも、誰に握られることもない紙コップだけが寂しく転がっているのだろうか。
暗すぎて、遠すぎて、何も見えない。
もう七月なんだけど、ムクドリの家族は雨戸の戸袋に作った巣からまだ出て行かない。
ギャーギャーとうるさい鳴き声は相変わらず。夜中はガタガタと物音を立てて、糞はそこが便所とでも思っているのか我が愛車の上に投下し続けている。
いい加減、子供はもう飛べるだろう。そろそろ出て行って欲しいんだが。
まさかと思うけど、こいつら戸袋の巣をマイホームにしようと思ってるんじゃないだろうな…、と不安になってきた。
許しませんよ、そんな暴挙は。こっちは子供が巣立つまでという前提で仮初めの軒下を貸してやってんだ。
大体、この俺の菩薩のような慈悲のお陰でカラスや猫に襲われる心配もない快適な場所に住めているってのに、その恩情に感謝するどころか、目が合うだけで親の仇のようにギャーギャーと叫び、それだけでは飽き足らずに人の車をクソまみれにしやがって。
憎たらしい鳥だよ。
こいつらの所業を見ていると、インコのピーは本当に可愛かったなぁ…、と思い出しては切なくなる。
最近「婚活」なんて言葉をあちこちで目にする。
今は結婚も就活と同程度の重みしかないものなのだろうか。
相変わらずマスコミは軽薄な言葉を流行らせたがるもんだ。
「婚活」が消えた数年後には「離活」なんて言葉が流行るんじゃないだろうか。
結婚も就職も一緒。
イヤなら辞めればいい。危ないと思ったら辞めればいい。自分の為にならないと思ったら辞めればいい。対象が人であっても同じさ。つまり会社はもちろん、他人も自分の幸せや利益、保身の為の手段としての存在でしかないってことね。
人は手段にすぎないのだ。「幸せになりましょう。でも、不要だと判断したならばポイッでいきましょう。無駄なくいきましょう」
こんな言葉が流行る背景にはそういう風潮があるんだろう。
願わくは、お互いを目的として見なしあえる人と結ばれたい。
傍にいること「それ自体」が幸せと感じられる誰か。感じてくれる誰か。
歳をとって老いて死ぬまで「目的という絆」で結ばれていたのなら、どんなに幸せな人生なんだろう。
この先の人生で出会えるだろうか。
出会えなかったら、それもまた運命か。
まぁ、孤独もそんなに悪いもんじゃないさ。少なくとも、手段として見られて、無用と判断されれば捨てられる存在よりかは。
酷い夢にうなされて起きた。
最近はずいぶんと楽になったと思っていたのに、今更こんな夢を見るとは…。
夢の中の自分はとても臆病で狭量。イヤになるよ。
理性が働かないと、感情の針が極端から極端に振れてしまう。
睡眠中は前頭葉の活動が相当弱まるんだなぁ。
何か楽しみが欲しいなぁ。
脳ミソが疲れた時の気晴らしがほしい。
前からやってみたいと思っていた、バイクへのナビ装着に挑戦してみようかな。
少しずつ情報を集めてトライ・アンド・エラーをするのはいい気分転換になるかもしれない。
失敗したら逆効果だけどねー。
綺麗な星空が見たくなったのだ。
ヤフーの星空指数を見たら富士吉田は星4つだったので、富士の五合目駐車場を目指して車で行ってきた。
結果は酷いもので、富士スカイラインで10メートル先も見えない濃い霧(雲?)に危険を感じて途中で断念。
5時間と20リットルのガソリンを無駄にした。
何やってんだろ、自分。
こういう時は、あんまり遠くに行くもんじゃないな。
余計に寂しい思いをしただけだったよ。
朝は新聞配達をしている。
配達の途中には小さな神社の前を通る。自分はこの場所が好きだ。
闇の中にぼんやりと浮き上がるその姿は、そこに何かが臨在しているような感覚を受けさせる。
自分は無宗教者だが、無神論者や不可知論者ほどは神の存在に対して否定的ではなく、漠然とだが大いなる何かの存在は信じている。
それは人格を持つ「神」というよりは「梵」という響きに近い存在かもしれない。
神社や寺、教会等の人の想いが集まる場所は、俗世の泥にまみれながら生きている日常では意識していないその存在を思い出させてくれる。
ほんの10秒くらいだけれども、祈る。
想いというものは現実に作用すると信じて。
今日も大切な人達が健康で、元気で安全でありますように。
イラついていたり、荒んでいる時でも誰かのために祈ることで内面が潤うのを感じる。
夜も眠りに落ちる前に心の中で10秒ほど感謝し、そしてまた祈る。
我に執着すると心が荒む。
人は誰がために祈る。
大切な人達のために。
自分の心のために。
痛みを感じると、人はその原因を外的な世界や人間に向けがちになる。
見当違いの怒りや憎しみは何も生まずに、人生をますます狂わせる。
この世で自身の身に降りかかるほとんど全てといってよい痛みは自分が呼び寄せたものなのだ。不条理な痛みなんてものは、そうそうあるものではない。
自分が過去に蒔いた種の結果が、現在食べている苦い果実である。
それを忘れないように肝に銘じよう。
時々、自分はバカになる。
痛みを感じたら、自己に向かってこう言うのだ。
you asked for it!
自分のためだけに生きるって人生ってのは、一人で食べる食事のように、どんなに豪華で高価だろうが味気ない。
誰からも必要とされない生活も長くなると、そのうち食べる事自体に興味が失せてくるんだろうな。
気を付けなくちゃ。
昨日、ムクドリのフン害に困っていると書いたばかりなんだけど、今朝その原因が分かった。少しでもフンに当たらないようにと車を庭の奥にバックしていたら、頭上からチュンチュンと鳴き声が。
「ん、近い…」と見上げると、二階にある雨戸の戸袋が目に入った。
どうやら、そこから鳴き声が聞こえているようだ。
まさか…と思って確認してみたら、…いたよいたよ。
結構大きいんだけど、まだ飛べないであろうヒナ鳥が3羽。
見つかっちまった、という表情で息を殺している姿がなんとも哀れじゃないか。
懐中電灯で戸袋の奥を照らしていたら、親鳥の群れがギャーギャーと騒ぎ出した。
なるほどねー。こいつらに餌を運んでいたわけね。
夜中にここら辺からカタカタ音が聞こえていたけど、てっきりネズミかと思っていたよ。
洗車するたびに愛車をクソまみれにされて怒り心頭だったけど…、やっぱどんな生き物でも子供は可愛いな…。
まぁ、たかが鳥のフンだしな。人糞だったら殺すけど。
しばらくしたら大人になって飛んでいくだろう。はよでっかくなれよ。
梅雨で外は雨だし、仲のいい友人は結婚しているか遠くにいるかだし、家では一人で話す人なんていないし。
ふと心の穴が気になった時の気晴らしといったら、こうやって他愛無い文をつらつらと書くこと意外に思いつかない。誰が読むかも分からない文を。
まぁ、自分が読み返せればいいのだ。心の軌跡なのだから。
ブログを振り返ってみると、5月から急に更新回数が増えてんのね。心の充足感と書く頻度は反比例するんだな。
しかし、心機一転でブログを一新したってのに、速攻で試練の連続に見舞われてて笑えるよ。
このブログはどのくらい続くのだろう。数年は続けるかもしれないし、明日やめるかもしれない。いや、今は書いていて心が休まるから明日ってことはないか。
心がある程度満たされていると別に書く気になんてならないから、その時が止め時なんだろうね。
早くそんな日に辿り着ければいいなぁ。
最近、やたらと鳴き声のうるさい鳥が群れで家の周りに発生している。
ざっと数えたところでも20羽以上はいるよ。
ギャーギャーと、かなり耳障りな鳴き声を発する。
調べたら、こいつらはムクドリという鳥らしい。
まぁ、鳴き声がうるさいくらいだったら別にいいんだけどさ、フン害が凄まじいのね。
鳥ってのは体を軽くするために常にフンをするから、群れをなすとなるとその量たるやハンパではない。
庭の上に張られた電線に止まるもんだから、その下にある車のボディ全体が鳥のフンだらけ。1日に10発以上は投下しやがる。
先日には車体を綺麗にしていたら後頭部に着弾。なんてコントみたいな被害にあったしさぁ。笑えんよ、ここまで酷くなると…。
しかし…なんで、いきなり発生したんだろう。以前はいなかったよな。このうるさい鳴き声は記憶にないもの。
犬猫と違って忌避剤なんてないだろうし、あったとしても一体どこに設置しろと。
つまり、されるがままなんですな。
悔しいのう。
すぐに疲れる。疲れが抜けないってのは相変わらず。
起きている間は意識的にポジティブな心持ちに持っていけるけど、心が素の状態の寝起きだけは辛い。朝は新聞配達をしているので真っ暗闇の中で起きる。
音楽でも聞いて、しばし気を紛らわす。
スプリングスティーン、あんたはもう心の一部になってしまったよ。
ずっと、このままなんて事はありえないんだ。
時という全てを溶かす溶媒の中に消えていく。必ず、痛みは消えていく。
けど、同時に愛おしさや温もりも消えていくんだ。
忘れるという事は幸せなことなのだろうか、不幸せなことなのだろうか。
純粋で一生懸命で、繊細で想像力が豊かで…。そして、少しだけ怖がりだった。
そういう気質だから、たぶん感じる不安も人一倍だったんだろうな…。
自分みたいな楽観主義者でさえ不安を感じる未来だったんだから、彼女はその何倍もの不安を感じていたんだろう。そう推し量りながら昔の詩を読んでいると辛くなる。
その不安から解放された今、少しは楽になれていますように。
自分が追っているものは夢なのだろうか。
最初は確かにそうだったけど、そのうち夢とは異質のものが混入してきた気がする。
今まで積み重ねてきたものが何の形にもならぬままに終わる…そう考えると空気を吸ってるのも億劫だ、と感じるこの感情。こんなもんを夢といえるのか。単なる意地ではないのか。大切な人を失ってまで執着するものなのか。
「愚か者は遠いところに幸せを探し求め、賢者は足元にそれを育てる」
ある詩人が言った言葉が胸に刺さる。
この目的が成就して胸のつっかえが取れたその先に、はたして幸せは転がっているのだろうか。誰もいないその場所に。
連絡しないと思っていたんだけど、心配になってメールしてしまった。
相変わらずのつれなさだったけど、一応返信が来て安心した。ありがとう。
悪い胸騒ぎも解消されたことだし、なんかある意味吹っ切れたな。
なんにせよ、元気に生きている事に勝る幸せはないよ。
お互いが更に幸せになれればいいんだ。
考えてみれば、捨てられた側が捨てた側を心配するってのが変なんだよな…。
お人好しも大概にしておこう。
もう自分の事だけを考えて進むよ。
また缶詰生活に戻ろー。
腐ってしまったな。
また、うまくいっていた時の生活に戻らなくては。
必要な時以外はネットに繋ぐべきじゃないんだよなぁ。
わざわざ心を乱す情報の海にダイブする必要はないのだ。
寂しいから、ついつい飛び込んでしまう。
先月、はじめて吸ったアメリカンスピリットのペリック。
その美味さに感激して、これからはこれ一筋でいこうと思っていたんだけど、このペリックがチャコールフィルターになってリニューアルしたらしい。
早速、買って吸ってみたんだけど…
「なんだコレ?これ、ペリック?」
てのが正直な感想。お世辞にも美味いとは言えない。心底ガッカリ。
チャコールフィルター云々じゃなくて、ペリック葉の割合が明らかに激減してるじゃないか。変わりすぎだよ、あんた。
あの甘酸っぱくてコクのある芳香がほとんど無くなってしまった。
こんなもんを吸い続ける気にはなれないや。
急いでタバコ屋に行って、旧ペリックをカートンでまとめ買いしてきた。これが無くなったらまた禁煙しようかな。はぁ、本当に残念だよ。いよいよ楽しみが無くなってしまった。
あ~あ、昨日・一昨日は見事に腐臭を放ったなぁ。くせーくせー、軟弱男。
まぁ、飾らずに格好つけずに、ありのままの心の軌跡を記録していこう。
それがこのブログの存在意義なのだから。弱さや醜さも真実の一部なのだ。
自分の心の傷に目を向ければ心が腐る。
人の心の傷に目を向ければ悲しさや無力感に苛まれる。
傷ってのは厄介な代物だなぁ。
そんなものを無視できるほどのガサツさっていうのか強さがあれば、さぞや人生ラクなんだろうけど、こればっかりは生まれ持った性格だからなぁ。
心の傷を明日への力へと昇華させるだけの力がほしい。
この孤独を通して心の足腰を鍛えよう。
一体どんな未来を夢見ていたんだろう。
一つだけ分かることは、何ひとつとして叶えてあげられなかったということ。
何ひとつとして。
そして、叶えてあげられぬままに終わってしまったこと。
泣きたくなる。
無能な人間には愛される資格などないのだ。
何ひとつとして返せやしない。
固く閉じていても、ほんの僅かな隙間でも出来ると灰色の水がそこから入り込んで来て、この心を冷たく満たす。24時間、何かに集中するなんてのは人間には無理なことで、必ず隙間はできるものなんだ。そして、一旦隙間からその水に侵入されたら、しばらくは窒息するような息苦しさを感じる。
特に、今みたいに空白の時間と誰もいない空間の中での生活では隙間が多くできる。今日はヤバいな。久々に波が来てる。
あれ以来、目に映る世界はモノクロのままだ。当初はこの喪失感は彼女を失ったことに起因するものだと思っていたんだが、時間が経つにつれて実はそうじゃなかったことが分かってきた。大好きだった彼女が幸せになれるのなら、辛いけれども別れという選択も受け止めよう。幸せになれなかったら許せんけどさ。
この未だ消えぬ喪失感の本質はもっと根深いところにある。
何の疑いもなく持っていた、人と人の絆に対する信頼感。心さえ繋がっていれば、結ばれた手は決して離れないという安心感。これらが幻だと悟った時に感じた驚きと衝撃こそがこの喪失感の本質で、これが世界を灰色にしているものの正体だったんだ。
人は離れていくのさ、たとえ心は繋がっていようとも。たとえ現実に不幸や困窮に直面していなくても、危ないと思ったら手を離すんだ。
いい年こいて子供じみた幻想に幸せを感じていた自分が馬鹿だったのだ。
辛い過去を二人で乗り越え、沢山の喜びを共有し、道端で咲く小さな幸せを見ながら感じた強い絆、心の平和。
一蓮托生の人にやっと巡り逢えたという幸福感。
しかし、それらの幸せや安心感は幻で、心を委ねたその絆は「不安」という不確定なものにすら断ち切られるほどに弱かった。
その冷たい現実が隙間から入り込み、心を窒息させる。
バスケットボールが弾みながら階段を落ちるように、自分の心も浮き沈みを繰り返しながら落ちていった。
ここ数日は跳ね返ることもしなくなり、低い位置で静かに静止している。
多分、ここら辺の高さが現状に見合った心の場所なんだろう。
このまま冷たい底を転がっていくしかないな。止まっているわけにはいかないのだ。
今日も明日も明後日も、おいらにゃ喜びなんて待ってない。
今日も明日も明後日も、おいらにゃ安らぎなんて待ってない。
今日も明日も明後日も、おいらにゃ誰も待ってない。
長い人生だもの。そんな時代だってあるさ。
挫けずに行こう。腐ってなるものか。
新型のスーパーカブ110が発表された。
ホンダのサイトを見てみたけど、いい。うん、すごくいい。
4速化とフロントサスのテレスコ化なんて、カブ好きの皆が涎を垂らして待っていたものじゃないだろうか。
樹脂ボディ採用でプラスチッキーになってしまった事は残念だけど、それでも今度の新型は期待大だなぁ。
110ccで8馬力もあれば、生活の下駄としては文句なしだろう。燃費は90ccの旧カブよりいいみたいだし。
原付とバイクを手放してこれ一台に絞ろうかなぁ。
とはいえ初期ロッドは避けたいので、とりあえずは様子見かな。
警視庁が催しているバイクの安全運転講習会に何年かぶりに行ってきた。
今日はいい天気だったせいか、百台以上の激混み。
プロテクター着用が義務化となり、敷居が高くなったので多少は台数が絞られてんだろうと思ってた自分が浅はかだった…。
いるわいるわ、ゴツいプロテクターを剥き出しにした猛者どもが。
日中は温度が30℃近くまで上がったので、これからの季節は体力に自信がないと参加は見合わせたほうがいいかもね。自分はしばらくは無理そう。
でも、まあ久しぶりに熱く走れて、多少は気が晴れたかな。
警察が主催なので教科書通りの運転を教えるだけかと思いきや、かなりハードな走行をするので始めて参加する人は面食らうかも。
4大会連続。おめでとー、サッカー日本代表!
稀にみる糞審判にもめげずによく頑張ったなぁ。
本当に、稀にみる糞審判。
ワンサイドな笛ばっかり吹きやがって、しまいには岡田監督が選手に指示しただけで退席処分。何だ、ありゃ。アウェーの域を完全に超えていたよ。
それにしても、「解説:松木安太郎」は相変わらず笑える。
「あっ!ああーーー!!」と絶叫したかと思えば、「おぅ!ほぉぉお…」と悶えたり。
解説として呼ばれているのを完全に忘れて試合観戦に没頭してんだもん。
最初は鬱陶しかったけど、最近の実況ではこの人がいないと寂しく感じるから不思議。
駄目だなぁ。
全く集中力が戻んないや。精神的にハイと鬱を繰り返して無駄に疲れてる。
昔の友達と会って下らない話でもしてゲラゲラと笑いたいなぁ。
今の生活だと、ほとんど独り。
こういう時の孤独ってのは本当に疲れる上に、気力を回復させるのが難しい。
早く人と交わりたい。
人は定めされた流れの中で生きている。
紆余曲折はしながらも、結局はその人その人の流れからは外れられずに流れていく。
自分は大いなる流れを信じ、その流れにこの身を委ねよう。
流れに乗って生きているのか、そうでないのかは心の奥底に聞いてみればいい。
きっと答えてくれる。
変に焦らずに、変に怖がらずに、安心してこの身を委ねよう。
この流れが最終的に大海に出るのか、はたまた滝壺に落ちるのか。
この流れの中で誰かと手を繋げるのか、それともこの先の流れの中には自分以外は誰もいないのか。それは運命。抗わずに受け入れよう。
無力な人間にできることは、その流れに乗って流れていくことだけ。
努力を怠ると淀みにはまる。
知恵がないと障害を回避できずに衝突してしまう。
愛や誠実さを失うと冷たく暗い川底に沈んでしまう。
それだけさ、注意すべきことは。
身を委ねて流れていこう。青い空を見上げながら。
5月も今日で終わり。春も終わり。
この2009年の春は自分の中に苦い記憶として長く残るだろう。
弱り目に祟り目というか、泣き面に蜂というか、この春は辛い事が立て続けに起こった。
嫌な出来事ってのは続くと言われるが本当なんだなぁ…。
負の心は負の出来事を引き付けるのだろうか。
全てを失くしてしまったような喪失感は未だに払拭できず。
しばらく動けなかったけど、まぁなんとか立ち直れそうだ。自力で立ち直らなくちゃな。
もう、こりごりだよ。こんなのは。
いつの日か嬉しい事が立て続けに起こる未来にたどり着けますように。
アルコールに頼らなければ寝付けなくなってしまった。
なんか、どんどんダメになっていってねーか俺。
そろそろ一ヶ月だ。
丸一ヶ月ダメにしたな。
まぁ、いい。並みの人間ならこんなもんだ。
人を心から好きになる代償ってのはこのくらい高くつくんだ。
次から次へと相手をポンポン変えられる簡単な脳みその奴が羨ましいよ。
音楽は人の心を癒し、勇気付け、そして希望を与えてくれる。
先の見えない暗闇の中、小さなかがり火となり道を照らし、明日へ向けての凛々しさを感じさせてくれる。
あの子はあまり音楽や歌を聴かなかったな。
本当に心を疲れさせてしまった。
あの子にとっての、心のかがり火は何なんだろう。
頭や心に空白が出来るともうダメだなぁ。
様々な考えや感情が次々と表れ、そいつらに占領されて眠れなくなる。
昔は寝る前には何を考えていたんだっけ。
まぁ、寝たところで見るのはろくな夢じゃないのだ。
スズメバチの大群に襲撃されたり、ケツから骨が飛び出て人工肛門になったりとか、最近は悪夢ばかり見るよ。しかも、夢のくせに何故か体は痛みを感じる。
俺の深層心理は一体どうなっているんだろうか。
この不完全な人の世は数多くの痛みで満ち溢れている。
そういった痛みを経験する度に人間不信になったり、意地悪になったり、攻撃的になったり、臆病になったり、打算的になったり、挙句の果ては人の不幸を喜ぶようになったり、と。そういった方向に変質してしまう人もいる。
「辛い試練に遭ったら、それを好機として自分を磨け」みたいな言葉をたまに耳にするんだけど、何をもって自分を磨くというんだろう。
勉強や仕事、習い事に打ち込むのもいいし、外見を輝かせるのにお金や精力を注ぎ込むのもいいだろう。
けど、自分はこの苦難のトンネルから、根性をひん曲がらせずに出てこられただけでも、十分に「自分を磨いた」ことになると思うんだな。
別に何かをする必要なんてない。あれこれやって上辺を輝かせても根っこの部分が腐っていたら目も当てられない。
ただ、痛みを受け止めて、それを己の小さい器で消化し、それでも口元の微笑みは失わずに。そして、前より少し賢くなっていればいい。
それで十分なんじゃないだろうか。
お天道さまも、ちっぽけな人間にそれほど多くの事は求めていないはずさ。
愛しい人に二人の未来を信じてもらえなかった、という事実は心底こたえる。
結果を出せなかった自分の無能さが心底恨めしい。
この鈍く重い痛みは寝ても醒めても体全体を包み込み、体力を消耗させる。
かろうじて保っていた矜持は雲散霧消してしまった。
心さえ繋がっていれば、結ばれた手は決して離れないという子供じみた幻想とともに。
相変わらず何をやってもすぐに疲れ、集中力も戻らずに今日も口呼吸。
無理して高ぶらせた心は、無理した分だけ墜ちていく。
その繰り返しで心のリソースは尽きていく。
無理に抗わずに、それが通り過ぎるのを待つしかないのだろうか。
誰にも知らせてないから、アクセス数なんてほとんど自分と巡回ロボットが稼いでいる我がブログ。予想通り、順調に低空飛行を続けております。
まぁ、独り言メインだとこんなもんか。
独り言だったらチラシの裏にでも書いてろって思うんだけどね、パソコンのメモ帳などに書いていても続いたためしがないんだな。
思ったことを勝手に書きながら思ったんだけど、やはり書くという作業は心に良い。
頭の中で浮遊している想いを活字にしていると気が晴れる上にポジティブな考えに変換することもできる。
それだけで、このブログのアイデンティティは成り立つのだ。
それに、管理が本当にラク。文章書いて、ポチッで終わりだもんね。
昔、ホームページを作ったことがあるけど、あの頃と比べると雲泥の差なんだなぁ。
当時はメモ帳にタグをガスガスと打ち込んで、出来上がったページを見てはムフムフしていたっけ。
主なコンテンツといえば自作のアクセスカウンターのみという、閉鎖するには余り時間を要さないホームページとなり、自分の黒歴史に葬り去ったもんだ。
ブログ形式なら気分転換として気楽に続けられそうな気がする。
辛い時に長渕の曲は五臓六腑に染み渡るなぁ…。
特に「しゃぼん玉」なんて、こんないい曲だったんだぁ、と今更ながら気が付かされる。
酒が入ってたら確実に泣くな、これ。
良い歌は時代を問わず普遍的に良いんだね。
ここ数週間、寝ても醒めても消えない鈍痛に心を消耗させられ続けていたけど、それもそろそろ潮時だな。
自分の傷や痛みばかりに目を向けないこと。心が腐る。
生きてりゃ傷ついて当たり前なんだ。苦しくて当たり前なんだ。
その四苦八苦の人の世で、一瞬でも想い合えて温もりに触れられたことに感謝しよう。
この空の下、あの子も悩みながらも元気に生きていると考えたら少しは救われる。
きっと難しい顔してフラペチーノでも飲んでいるのだ。ふふ。
挫けずに嘆かずに、恨まずに歩いていこう。
自分を哀れむ奴にろくな未来は用意されてないのさ。
力が必要な時に、その力の持ち合わせがない。
適当に文章を綴っていると多少は気分も晴れるが。
あー、ダメダメ。
やっぱ、こういう時にネットはダメ。テレビもダメ。
余計に憂鬱になるだけだ。
しばらくは再びオフラインにしよう。
ダメな時は何をやってもダメ。酒でもかっくらって今夜は寝るのだ。
私は貝になりたい。
アデュー。
心が蟲に喰われているような不快感がする時は、大抵は間違った考え方をしてるもんだ。
自分だけが心を疲弊させたわけじゃない。自分だけが傷ついたわけじゃない。自分だけが痛みを感じたわけじゃない。
限りある生、限りある時間、限りある力。皆、それらの中で満たされようと懸命に生きている。時には迷い、時には間違い、時には立ち尽くしながら。
自己憐憫や被害妄想は、そういった当たり前の事すらを頭の外へ押し出す。
そして馬鹿になり苦しむのさ。
胸に手を当ててよく考えてみよう。
人という儚い生き物に対する慈しみを忘れると、蟲が集って来て心を食い潰す。
そいつらを寄せ付けないためにも、心持ちは大きく、明るく。
ちょっと心が閉塞したので、気分転換で久々にバイクに跨ってきた。
ここ数年はほとんど乗らなかったけど、メンテだけは趣味代わりでやっておいたので機関は好調。
市内をぐるっと。距離にして15kmくらいだけど回ってきた。
うー、やっぱ気持ちいいなぁ。バイクって。
まったりと流しているだけでも、本当に気持ちが晴れるや。
車や原付に比べたら実用性に乏しく、夏は暑さで死ねるし冬は心まで凍る。
長距離移動は体力を無駄に奪う上に、事故れば無傷では済まない。
なのに、何でここまで魅せられるんだろう。
暑い夏が来る前に一回遠出したいな。
久々にヤビツ峠の鹿さんにでも会いに行こうか。
色々と尋ねたんだけど、一切返事はもらえなかったな。
理由の核心はなんだったのだろうか。分からずまま終わってしまった。
彼女の中では完結しているんだろうが、結論だけ伝えられて去られた側としては色々と思いも残るってもんでさ。たまに物凄い虚無感に苛まれる。
嫌われたのだろうか。真の理解者だと思っていた人に「失格」の烙印を押されたのだろうか。それとも何らかの意図や心配りがあってのことなのか。いずれにせよ言葉を交わしてくれないとどうにもならない。エスパーではないのだ。
多少はこちらの心のフォローも考えてほしかったな。言葉が返ってこない辛さは知っているはずなのに。
概して女の人ってのは自分さえ納得したならば、残骸で散らかった部屋からでも構わずに出て行ってしまうようなところがあるから困る。
基本的に自分の気持ちを計る物差ししか持ち合わせていない生き物なのだろうか。
「弱き者、汝の名は女なり」なーんて言葉を自己流に解釈しながら、茫漠とした心境で今日も眠りに就く。
一息でもつくと様々な思いに襲われて胃が痛くなる。
休憩で胃が痛くなるってどーなのよ。
独りだと、どうしても視野狭窄に陥ってしまうなぁ…。
まぁ、プラス思考でやっていこう。根は楽観主義者なはずなんだ。
天に身を委ねて日々を精進するべし。
それ以外に何もできないし、何もする必要もない。
やはり自分のためには別れたほうがよかったのかもしれない。
彼女の暖かさ、彼女が隣にいることの安心感。
陽だまりっていうか、コタツみたいな子だったんだな。
真冬でもぬくぬくしていられる心地よさ。
危機的な状況下でミカン食ってるし。
その彼女を失った今は「寝たら死ぬぞ」状態なので、否応にも目を見開いて進まざるをえない。
そうそう、よかったんだ…。
なんて強がって合理化してみる。
最近、真夜中に自然に目が覚めることが多い。
クタクタになるまで疲れて寝てんのに起きちゃうんだよなぁ…。
そして暗闇の中で孤独に震える。
孤独死というのは本当に辛いんだろうな。
特に何者とも繋がらずに人生を終える人の最後というのはどれほどの寂しさだろうか。
しかし、恐怖に負けるな。
恐怖っては、逃げると調子こいて追ってくるからな。
こいつに追われて逃げ出したら奈落の底に転落さ。
ビビったって仕方ない。賽は投げられてしまったんだ。
いや、しかし今が春でよかった。
冬だとキッツイぞ、これ…。
かけがえのない人がかけて、ふと現実を見るとそれは恐怖で満ち溢れている。
昨夜は普段は飲まない酒の力を借りて寝れはしたものの、深夜に目が覚めて、その暗闇の中でこれからの人生のことを考えた。そして、その漆黒の未来への恐怖で慄いた。
今まで味わったことのない恐怖。陽だまりのような彼女のお陰で緩和されていた恐怖。
現実が恐い。
しかし、この道はあれ程の代償を払ってまで選んだ道なのだ。
恐怖は所詮は恐怖。実体のない幻だ。
幻に踊らされて逃げ惑い、崖下に転落するのはごめんだ。
恐怖に打ち勝つためには、なすべき事に没頭するしかない。
遠方の淡い光を想像する。そして、足元だけを見て一歩一歩を着実に進んでいくことさ。決して道を外れることなく。
道を外れると恐怖に襲われる。人の心はよくできている。
部屋を綺麗にしたら気分が大分楽になった。
いつまでも落ち込んでいられないので、そろそろ元の道に戻ろう。
また落ち込んで、そして立ち上がってを繰り返して、段々楽になっていけるんだろう。
ネットともしばらくお別れさ。
「辛い恋を忘れるためには新しい恋が一番」という処世術があるが、確かにそうだと思う。
でも、自分は心の傷がまだ癒えてもないうちに新しい恋人を見つけるって行為は、その新しい恋人を別れた恋人の代替にしているように見えてあまり好きじゃない。
別れた恋人がいい人だったら尚更だ。
たしかに、自分の幸せの為にはそれが一番要領がいいんだろうけど、そう思って実行に移せる人は少し軽薄に見えてしまう。人は使い捨てカイロではないのだ。
でも、人間ってのは弱いからな…。
自分はまずは、また独りである事に慣れたい。
この3年間で孤独にすっかり弱くなってしまった。
彼女と出会う前は、なんであんなに孤独に強かったんだろう、とすごく不思議。
漠然と寂しさは感じていたけど、同時にその孤独が好きでもあった。
また、あの頃の強さに戻りたい。
この心を鍛えよう。
ヤケクソになって堕ちていくなんてことは決してないように。
よく女に振られてヤケ風俗に行ったとか聞くけど、お前らの感性は山賊並かよって。
俺なんてすっかりEDだね。
部屋を大掃除しよう。服も買いに行こうかな。しばらく乗っていなかったバイクの整備もしてやるかな。
とにかく環境は大事ね。見た目が廃れてると心まで廃れてくる。
周辺のものは常にいい状態に保っておこう。
何もする気が起きないや。
前へ進まなければと頭では分かっているんだけど、心と体がついていかない。
当たり前さ。
一日や二日で立ち直れるものか。
この辛さを養分として、まっすぐに木を伸ばそう。
決して曲がることなく、優しく、大きく。
愛とは無償。愛とは見返りを求めない。愛とは己を顧みない。
究極的に突き詰めていくと、愛とは自分の命を相手に捧げることに等しい。
だから、人を愛するのは難しいし、人から愛されるのも難しい。
相手を見間違うと悲劇にもなりうる。
愛とは不合理なものなんだ。わりに合わないものなんだ。そつだらけなんだ。無駄だらけなんだ。
けど、人の心は結局はその不合理なものにしか救われないのも事実。
自分の幸せだけを追求する姿勢は、無駄はないけど愛もない。
結局は救われないってことさ。
分かっていながら生き方を変えられない。
この性格は生きるのに向いていないのかもしれない。
もう一生一人かもな…。
もしかしたら、かけがえのない人を失ったのかもしれない。
うん。でも仕方ない。
自分で選んだ選択なんだから…。
この胸の痛みが麻痺するくらい、やるべきことに没頭しよう。
きっと光が待っていると信じて。
お互いが幸せになれれば、何も言うことなしなんだ。
必要な情報が欲しい時にだけネットに接続する。
それ以外の時はパソコンをLANから取り外し、部屋の勉強机の上に置いておく。
2ちゃんやyoutubeともすっかり疎遠になった。
精神的にすこぶるよろしい。
世の中、いらない情報が多すぎる。
山梨県は道志みち沿いにある源泉かけ流しの温泉「紅椿の湯」に行ってきた。
お気に入りの場所で、かれこれ5回以上は行っている。
立地場所が山奥なのと、入浴料が1,000円と少し高めの設定が相まってか、土日に行ってもあまり混んでいないのがいい。
奥多摩あたりの温泉だと、休日に行くとなると結構な人がいるものね。
昨日は平日に行ったこともあり、ほとんど貸し切り状態だった。
源泉かけ流しだけあって、お湯はきれい。体の芯まで熱が浸透してくるようなサウナも気持ちがいい。露天もそれなりに開放感あり。
ここのかき揚げはボリュームたっぷりな割りには200円と安く、行った時には必ず頼んでしまう。
温泉に入った後に休憩所でメシを食って、心地よい疲労感を感じている一時ってのは癒されるねぇ。愛しい人と一緒なら尚更だ。
帰るのが億劫になるけどなー。
足元だけを見る。
はるか遠方に心を囚われると、その闇に呑み込まれる。
不安と恐怖で死すら頭を過ぎる状況下では、今自分のなすべきこと、できることのみに目を向ける。
くれぐれも夢見心地は青空の下で。
不機嫌はこの世で最も忌むべき悪徳。
その毒は他人も自己をも殺す。
不機嫌は何も生まず、ただただ破滅へと導くのみ。
不機嫌になって物事が良い方向に転がることはない。
それを理解し心に留め、決してイラつかないこと。
今の自分にできること、すべきことを考えて、それを粛々とこなす。
灰色の渦に飲み込まれて身動きがとれないようだったら、馬鹿な事でも考えてヘラヘラとやり過ごそう。
賢く対処せよ。
不機嫌は愚鈍であり、甘えであり弱さの産物である。
先日、二ヶ月以上続いた禁煙をやめて、またタバコを吸い始めたわけだが、たった二日で30本も吸ってしまった。
この分だと、また一日一箱のペースに戻るのは目に見えている。
やはり一日300円以上も煙にするのはもったいないなぁ。
夕飯の材料を買い出しに行った時に、無駄にタバコを吸っている分を節約しなければという考えが頭をよぎり、食いたい肉に手を出せず!
おいおい、惨めだな、この野郎。
タバコを吸うと食欲が減衰するし、その食わない分でタバコ代のロスを相殺できるからいいか、なんて理屈も喫煙を再開する時の言い訳になっていたんだけど、やっぱダメだなこれは。
確かに食欲は減少するが、腹に何も入ってないことには変わりはない。
人間、こういう状態になると気分が憂鬱になるんだな。つまり、不幸を感じる。
そうそう、何回か味わっていたな、この感じ。
禁煙してメシをしっかり食っていた頃には忘れていた困窮感。
うん、やっぱタバコはやめよう。メシをがっつり食って英気をみなぎらせなければ。
禁煙69日目にして挫折。
ここ最近、ストレスの連続で、今日それが限界値を超えてしまいコンビニへGO。
禁煙を始めてからその存在を知り、ずっと気になっていた銘柄「アメリカンスピリット(通称アメスピ)」を購入。
二ヶ月以上、一口もタバコを吸っていなかったわりには、すんなりと吸えて少し悲しかった。
ただ、深くは苦しくて吸えないな。
久々に吸うタバコはやっぱうまい。うまい、というよりは心がラクになれる。
好きな音楽を聴きながら吸う一時なんてのは、やっぱ心の拠り所になるな。たとえ、それが依存症だったとしても。
3本吸っておなか一杯。残りのタバコはビニールでラップして封印しようか。
また死にそうなくらいに憂鬱になった時の逃避先として持っておこう。
しかし、このタバコはコーヒーには合わないなぁ。食後の一服にも不向きな感じがする。
無添加タバコの代表格らしいが、いかんせん味が淡白すぎる。
添加物バリバリのマルボロやラッキーの方が合っているな、自分は。
日本が決勝で韓国を下し、2大会連続の優勝。
リアルタイムで見ていたけど、本当に手に汗を握る接戦だった。
力量では日本の方が上と思わせる展開の試合だったが、追加点の好機をことごとく潰していたので
「こういうチャンスを逃し続けていると、大抵はポコッと逆転されて負けるんだよなぁ」
という嫌な予感をずっと感じながら観戦していた。
9回裏で追いつかれた時なんて、これは負けると確信してチャンネルを変えたもんね。
けど、そこを救ったのはやはりイチロー。
完全に韓国に傾いた流れを再び日本側へと引き戻す2点タイムリー。
もちろん、この勝利はイチローただ一人のおかげではないんだけど、終わってみると彼の非凡さだけが印象に残った。
今大会中はずっと、見ていて痛々しいほどのスランプに陥っていたイチローが、最後の最後に、勝負の明暗を分ける決定的な場面でキッチリと結果を出す。
本当にスゲーや、あんた天才だよ、と口を開けて感心してしまったよ。
そう、感動というよりは感心って感じだったね。本当にこの人には何か憑いているんじゃないだろうか。
なにはともあれ、おめでとう日本。サッカーも頑張ってほしい。
春の陽気の下、日中から家でゴロゴロしている。
ここ最近は「終わり」というものを感じる事が多くて憂鬱だ。
一月と二月に祖母が二人亡くなり、幼少の頃の想い出に終わりを感じた。
三月にはここ数年の努力が形になることもなく水泡と化し、夢の終わりを感じた。
昨日はインコのピーが急逝し、ひとつの命と時代に終わりを感じた。
全ての事象には必ず終わりがある。
分かってはいるけど、新しいものが何一つも始まらずに、こう立て続けに終わりばかりを感じ続けるていると、自分も「終わり」に蝕まれている感覚に陥る。
春だってのに寂しいな。
今日、起きたらセキセイインコのピーが落鳥していた。
先日まで元気に飛び回っていたのに、何が原因なのか分からない。
まだ5,6歳だった。
3年前には肺炎を患って生死を彷徨い、二週間ほどの入院をしたこともあった。
元々、体が強くなかったのかな。
主を失ってガランとした鳥かごや、まだ残っている餌の袋などを見ると、泣きたいくらいの寂寥感に押しつぶされそうになる。
魚や昆虫などは飼ったことがあったけど、人に懐く生き物を飼ったのは、このインコのピーが初めてだった。こういうペットに死なれると本当に辛いんだな…。もう動物はしばらく飼えそうにない。
ピーの亡骸は庭に生えている大きな木の根元に埋めてあげた。
季節と共に命も巡り、葉や実となり仲間の小鳥達に恵みを与えてあげたらいいな。
小人閑居して不善をなす、なんて諺があるけど、取るに足らない人間が暇を持て余すとろくな事をやらない。
世の中の大半を占める凡人なんてものは、貧乏暇なしで時間に追われ、あくせく働いてるくらいがちょうどいいのだ。しょーもない犯罪を犯すのは大抵は無職だしな。
自分も例外ではなく、夢が潰え、いざ空白の日常を手に入れてしまうと、なんら建設的な事もできずに、くだらなく不毛なものばかりに溺れてしまう。
感覚を麻痺でもさせておかないと耐えられないよ。
ありのままの現実は直視するにはあまりに厳しすぎる。
けど、見なくちゃいけないんだよなぁ。しっかりと。
さてさて、これからどうやって生きていこうか。
休日の高速道路料金の上限1,000円が決まった事と、ETC車載器の新規購入者への助成金が出ることも相まって、さすがに自分もETCを付けたくなったんだけど・・・どこも売り切れだなぁ…。
しかも、どこもかしこも便乗値上げしやがって。
国からの助成金を小売店が丸ごと分捕ってるし。
商品価格と取付け工賃アップで助成金の意味が全くなし。
今後はオートバックスでの買い物は極力控えようっと。
今回はパス。
慌てる乞食は貰いが少ないってなー。